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oai:ginmu.naramed-u.ac.jp:10564/14242017-05-29T06:07:34Zhdl_10564_1407初期ハイデガーにおける生と気づかいLeben und Sorgen beim frühen Heidegger池辺, 寧ハイデガー事実的生自己世界気づかうことハイデガーは初期フライブルク講義で事実的生の分析を行っている。本稿では、特に自
己世界と気づかうことに焦点を当てて、彼の分析を再構成することを試みた。ハイデガー
が問題としているのは、自己世界を中心にして展開される具体的なこの私の生、及び生世
界である。生世界には同時に、共同世界や周囲世界も含まれている。だが、生世界は自己
の状況と密接に関連しているゆえ、まず求められるのは自己世界のあり方を鮮明にするこ
とである。このことは、私がいかに生きているのかを解明するニとでもある。生きること
とは、ハイデガーによれば、個々の状況において出会う諸対象や出会いそのものを気づか
うことである。本稿では、気づかうことの特徴として、誰しも独自の気づかいの世界を有
すること、世界は気づかいの仕方に応じて周囲世界・共同世界・自己世界に区分されるこ
と、気づかうことが無自覚的な習慣となることにより頽落が生じること、などを指摘した。奈良県立医科大学看護短期大学部2011-03-15T04:53:10Z2011-03-15T04:53:10Z2003-03-11ArticleDepartmental Bulletin Paper936656 bytesapplication/pdf奈良県立医科大学看護短期大学部紀要 Vol.7 p.7-1513440810http://hdl.handle.net/10564/142413440810AA11156415奈良県立医科大学看護短期大学部紀要7715jpnpublisher